中川素子『絵本は小さな美術館』(その2)

 前の記事で紹介した『絵本は小さな美術館』ですが、読んでいていろいろ考えたことがあったのでメモしておきます。ちょっと長いですが、4つの記事に分けて書いていきます。

 筆者の中川さんによると、物語からではなく表現そのものから絵本を見ていくこと、いいかえると美術的な見方が、絵本についてのこれまでの議論には根本的に欠けているとのこと。「はじめに」ではその理由が4点、指摘されています。簡単にまとめてみます。

 第一に、絵本は絵として見られることはあっても、表紙や見返しや裏表紙、本文の流れをともなった一冊の絵本全体としては考えられていない。

 第二に、絵はあくまで物語の二義的なものとしてのみ捉えられている。つまり、物語をいかにうまく説明表現できているかという図解の意味で絵が論じられており、そのため、絵を描く素材や技法、また紙質などについて語られることはあまりない。

 第三に、絵本は、美術の領域の動向とは区別されて論じられている。そのためまた、海外の絵本についても、偏った紹介がされている。

 第四に、視覚表現は感覚的なものとのみ考えられており、非常に浅く狭く捉えられている、つまり、視覚表現のなかになんらかのロジックや思想が表れているとは見られていない。

 この最後の第四点ですが、少し引用します。

絵本の視覚表現性は何かときかれたなら、私は即座に「認識」という言葉をあげる。絵本に限らず、視覚イメージというものは認識であり、思考そのものといってよい。視覚表現には、絵本を描いた人が時空間や人間関係などをどのように認識し解釈しているかが表れている。それは絵本作家個人としての認識であるが、同時に時代の認識でもある。(17-18ページ)

 言葉になっているものだけがなんらかの思考を表しているわけではなく、絵のような視覚表現もまた、言葉に劣らず、むしろ言葉以上に、世界や社会や人間についての一定の認識そして思想を表しているということかなと思います。

 しかも、絵本では絵と文(言葉)がいっしょになっているわけですが、絵は文からは独立してそれ固有の認識・思想を伝えていると言えるのでしょう。だから、視覚表現を物語やテーマに安易に還元するのではなく、それ自体、独自のメッセージを発しているものとして読み解く必要があるのかもしれません。

 というか、そのように立体的に捉えると、絵本を読むのがより楽しくなると思います。

▼中川素子『絵本は小さな美術館』平凡社新書、2003年、定価(本体 880円+税)

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